市民制作ドキュメンタリー映画「結い魂(ゆいごん)」

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+++ あらすじ +++


一人ひとりのお年寄りを題材にした、次世代に伝えたい、オムニバス・メッセージ集。


■雨ニモマケズ。 ごみニモマケズ。

今や「近江八幡の顔」と呼ばれる「八幡堀(はちまんぼり)」は、年間300万人が訪れる観光名所。

織田信長亡きあと、「安土城」のすぐ近くに豊臣秀次が築城した「八幡山城」を取り囲む八幡堀は、かつては水運の要衝として栄え、多くの近江商人を生み出した。しかし、戦後、生活の近代化が進むとともに、堀はその役割を失い、ヘドロとゴミに埋もれ、悪臭を放つドブ川へと変わり果ててしまった。

一度は埋め立てが決定したが、「堀を埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に、堀を保存・再生しようとする市民運動が巻き起こり、八幡堀は奇跡的に現在の美しい姿を取り戻した。

そして現在。

白井さんは、晴れの日も、雨の日も、風の日も、雪の日も、1年365日、毎朝毎朝、2kmのみちのりを1時間以上かけて歩き、八幡堀のゴミを拾い続けている。「八幡堀は近江八幡の顔。顔にゴミがついていたらみっともない。」「ゴミがひとつもない日はありません。」「お昼の弁当がらが袋ごと捨てられて浮かんでいたり。いったいどういう思いで、そんなことをするんだろう。」

四季折々の美しい姿を魅せる八幡堀で、白井さんが毎朝ゴミを拾い続ける本当の理由とは…。



■長光寺のお豆さん

ころころ旅するお豆さん。
ころころつながる、つながる笑顔。
ころころつながる、つながる命。
あたたかな土。
さわやかな風。
めぐみの雨。
まぶしい太陽にいだかれて、
命はめぐるよ、ころころと…。

真言宗「長光寺」では、毎月21日の「弘法大師の日」に集まる信者たちに、地元で採れた四季折々の「お豆さん」が振舞われる風習が、50年間続けられてきた。

子安観音が見守る長光寺を舞台に、毎年毎年、命と笑顔をつなぐ「そらまめの豆太郎」の物語。
そして、「長光寺のお豆さん」秘伝のレシピが今、金子おばあちゃんから嫁へと伝授される。
「“長光寺のお豆さん”を絶やさんように。」「あんたならできます。」



■遅咲き、乱れ咲き、こぼれ咲き―はるえの青春

旧家に嫁ぎ、家と病気にとらわれていた奥川さんの「第二の人生」が始まったのは、70歳を過ぎてから。

火曜日は気功。水曜日は俳画。木曜日は合唱。土曜日は社交ダンス…。

「病気をしてからは、家に引きこもるようになっちゃって。」「せめて習い事だけは、できるだけ休まないで出かけるようにしてるの。」

そんな奥川さんが運動のためにと通い始めたダンス教室だったが、今回初めて、勇気を振り絞って、その教室が主催する「ダンスパーティー」に参加した。そこで奥川さんが生まれてはじめて経験したのは…。



■人生甘辛く…オヤジの料理道場

JR近江八幡駅周辺は、京都や大阪のベットタウンとして30年ほど前から宅地化が進んだ。そこに家を建て、会社と家を往復するだけだった元・企業戦士たちは、近所づきあいもあまりなく、定年退職とともに、ある日突然慣れ親しんだ会社組織から切り離され、孤独な日々と向き合うことになる。

そこで、月1回の「オヤジの料理教室」に参加することで、たくさんの仲間をつくり、会社時代の身分はあえて明かさず、フラットな友情を育んでいるのが、彼ら「健康推進友の会」のメンバー29人。

普段は仲良く料理を楽しんだり、ともに地域のボランティア活動に汗を流しているオヤジたちに、それぞれの「人生」を振り返ってもらった。



■琵琶湖と、オヤジと、思い出のスキヤキ


大西さんは、近江八幡の水郷で生まれ育ち、父親から漁や琵琶湖の四季を教わって育った。そんな大西さんの目に映る現在の琵琶湖は、もう死んだも同然と言う。

「滋賀県は琵琶湖ですわ。」「琵琶湖で魚が獲れなんだら、滋賀県は良うならん。」

そんな大西さんの一番の思い出は、湖にうかぶ「田舟のレストラン」で家族そろって食べる「じゅんじゅん」(鶏のスキヤキ)だった。そこで、大西さんは、家族とスキヤキの材料を田舟に乗せ、自ら櫓(ろ)を漕いで湖へ繰り出し、人生最後の思い出づくりに挑む。

ハイビジョンカメラ4台を駆使して、「国重要文化的景観」全国第一号にも選定された「近江八幡の水郷」に漕ぎ出す大西さんたちを立体的に捉えた映像は必見!!



■ごめんね、あっちゃん。


終戦間際の昭和19年、満州に展開していた関東軍の砲兵隊851部隊に所属していた夫と24歳でお見合い結婚した冨田さんは、夫が待つソ連国境の村「虎頭(ことう)」へ、たった一人で嫁いでいった。満州で念願の長女「あっちゃん」を出産した直後、ソ連軍が突如満州に侵攻し、関東軍は壊滅。夫はシベリアに抑留され、冨田さんたち軍人家族は食べるものも着るものもない難民収容所での悲惨な生活を余儀なくされた。

歴史の表舞台には出てこない、名も無き母子たちの「もうひとつの戦争」の真実。

幼い長女を難民収容所で飢え死にさせてしまった冨田さんの深い悲しみは、60余年経った今も癒えることはなかった。「私の人生で一番悔いが残っているのは、娘を亡くしたことです。」「この悔いは、一生消えることはないんです。」

冨田さんは、あっちゃんとの思い出の地をもう一度その目に焼きつけるため、90歳の高齢にもかかわらず、持病だった白内障を手術で治し、帰国後に再会した夫との間にできた娘と孫を連れて、 中国に旅立つことを決意した。

結婚当初に暮らしていた「虎頭」の官舎跡地から、あっちゃんを埋葬した「東京城(とんきんじょう)」の飛行場跡地に至るまで、一週間かけてめぐった思い出の地で蘇ってきた記憶の数々を、冨田さんは私たちのカメラに生々しく語り続けた。





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